文豪の永井荷風はご存じですか?荷風について様々な視点から紹介します。

荷風が感じる漢詩の魅力とは・・


性格、思想、趣味、生活風景、作品などなど

荷風は「小説家」よりも「詩人」として評価されることが多かったと前回述べました。

 

西洋詩にも興味を持っていましたが、教養が深く身についていたのは漢詩です。

荷風は多くの漢詩を熟読し自ら作り出すなど漢詩との結びつきが非常に強い人物でありました。

 

「そもそもなぜ漢詩?」「きっかけは何??」

 


きっかけは父・久一郎によるもので、父は漢詩人としても活躍しており、荷風は幼い頃から漢詩に触れる機会が非常に多かったと思われます。
漢詩の魅力にほれ込んでいる荷風ですが、荷風が感じた漢詩への共感ポイントが彼独特なものです。

 荷風が好んだ漢詩の魅力はどこにあるのでしょうか。。

 

漢字だからこそ表せる情調美がポイントだった

漢詩といえば、五言絶句、七言絶句などがあるようにきっちり字数もはめられており、「文字の配列の美しさ」が魅力として挙げられます。しかし、荷風は外国文学の影響が大きいためか型にはまったものを好まず自由な表現を求めていて、むしろ漢詩抽象的で窮屈なものだと感じています。

彼の共感は詩が織りなす情調美にありました。

詩の中にある荒廃、寂寥、悲傷、恨悔など・・・・人生の薄暗い影の感情を託した文字、つまりこの「漢字」の部分が最も魅力を感じたポイントであると彼の研究者である奥野信太郎氏が言及しています。

 

表現方法にほれ込んだのです。

 

彼は文字でみる情調美や表面的な美しい印象を大事にする人であって、漢詩の中にはめ込まれた文字に美文的要素を感じました。

荷風漢詩をみる上で自身の生活で訴えている寂しさや苦しみ、社会に対する批判を文字で美しく表現がなされていることが一番の目的となっています。

 

 

荷風「配列の美しさが漢詩の姿であり魅力である」という世間の理解を嫌っています。配列の美しさのみを見てしまうと詩の内面に込められた人々の情感が無視されがちであるといいます。漢詩の中の「寂寥」「悲哀」の思いが大事なんだと主張する彼は、漢詩の見方も独特であるといえます。

 

漢詩で表されるのは感傷的な荷風

荷風漢詩文の中で自身の人生の感傷的な様子を示しました。
小説や随筆としての作品の中で、自身が作った漢詩のみならず気に入った漢詩があれば、他の詩人のものでも自身の作品にそのままのかたちで引用してしまうこともあります。斬新ですが。。


『雨瀟瀟』の中では中国の詩人である王次回の『疑雨集』の一部分をそのまま作品中に取りいれている例があります。
『疑雨集』は情痴、悔恨、追憶、憔悴、憂傷というような文字を軸において孤独の侘しさを詠っていて、『雨瀟瀟』で語られる自身の病弱な姿、孤独、社会批判に対して荷風が読者に示したいこととぴったり重なっていました。

『疑雨集』の詩は荷風の伝えたいことが最も示されていた詩で荷風の共感を得たからこそ引用で使われたのでしょう。

 

 

漢詩に対しても荷風が大切なのは「寂寥」「悲哀」の感傷的な思いの表現でした。漢詩荷風がもう一つ求める「芸術の美しさ」「情調美」も備わっていて、彼の強い共感をよんだのでした。

大学生活の中で永井荷風の研究に興味を持ち、様々な作品や先行研究、文献を読みました。

そこで得たわずかながらの知識を分かりやすく発信しようと思い、ブログを書いています。