荷風は生涯東京の地で。
性格、思想、趣味、生活風景、作品などなど
文豪には「ゆかりの地」というものがつきものですよね。
私も去年は岩手花巻に旅行へ行き、宮沢賢治のゆかりの地を歩いてきました。。
永井荷風のゆかりの地は何かと言われると、東京の浅草や小石川といったところでしょう。
永井荷風は生まれも育ちも全て東京です。
アメリカとフランスへの約4年間の滞在や、岡山県や熱海、市川へ一時的に住むことはあったものの、ほとんどは東京で過ごし作品を執筆しました。
文学者として永井荷風ほど東京を愛した人物はいないといわれています。
荷風は明治12年12月3日に東京の旧小石川区金富町、現在の文京区春日町で誕生しました。その後数年間は小石川で暮らし、書き上げた作品の中にも回想を含めて小石川での生活風景が数多く取り入れられています。〔小説『狐』(明42年1月)『大窪だより』(大3年8月)などなど〕
荷風文学の特性である風景描写の軸を築いた土地といってもいいでしょう。
よく面白いものを探して家の周辺や東京のまちをぶらぶらと散歩していたそうです。
そのようすを作品中の描写や自身の日記に事細かく描かれています。荷風文学全体を通して言うと、作品の中で土地に密着したかたちを印象強く読者に残しています。読み進めるうちに、描かれる都市に興味深くなっていくのが荷風がつくる文学の特徴なのです。
荷風が主に暮らした東京の土地は小石川、麹町、大久保、麻布です。大正9年から25年間は旧麻布・市兵衛町、現在の港区六本木にあたるところにあった「偏奇館」で暮らしました。この「偏奇館」に移り住んでから荷風は一人自由気ままに孤独な生活が始まっていったとされています。
荷風は毎日浅草に通っていた
生涯東京暮らしであった荷風がこよなく愛したのは「浅草」です。メトロ通り、新仲見世、雷門などなど・・。
隅田川の周辺で見る情景に自身の心持を重ねて情感たっぷりに表している作品見られ、日記にも永代橋や深川といった隅田川周辺、三ノ輪、小塚原などが多々登場し、浅草に出歩いたといった記述がよく目につきます。
日記『断腸亭日乗』を読んでいると、
「また浅草いってるよ!」と何度も思ってしまうほどの多さです。
浅草周辺を描いた作品といえば代表作『すみだ川』(明42年2月)です。『濹東奇譚』(昭11年)は隅田川の向こう側にある「玉ノ井」を舞台にしています。
随筆にあたる『夏の町』(明43年8月)に、隅田川について書かれた文があります。
少年時代の感化によって、自分は一生涯たとへいかなる激しい新思想の襲来を受けても、おそらく江戸文学を離れて隅田川なる自然の風景に対することはできないであろう。(『荷風随筆集下巻』 昭61年 岩波文庫)
荷風にとって隅田川の風景は非常に特別であったと感じます。荒廃の風景が彼が示そうとする内面的感情と結びつき、抒情的な印象美をつくりあげています。
荷風は社会の動向の中心をなす東京の風景を具体的に文字に起こし、社会情勢の中で感じる荷風の内面部分を重ね合わせて発信していきました。
荷風の巧みな風景描写は東京の街並み描写から生まれたものであり、パリやアメリカで感じた情緒美しい情景描写も東京で描いた風景描写があってこその描写と考えられます。
荷風は明治36年9月から40年7月まではアメリカとフランスに渡っています。彼は何年たっても西洋への憧れは消えることはなかったのですが、生涯東京住まいで
東京の情景描写を残し続けたのは、彼が東京のまちを愛してた証拠だと感じています。