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文豪の永井荷風はご存じですか?荷風について様々な視点から紹介します。

季節や気候の描写がポイントです


性格、思想、趣味、生活風景、作品などなど

 

私は、荷風を語る上で「芸術の美しさ」「情調美」はかかせないと記事で述べました。

 

「さっきから言ってる情調美って何??」

「芸術の美しさって漠然としすぎじゃない?」って思われることでしょう。

 

私が荷風文学の中で感じている情調美とは、荷風がふいに日常で感じる嬉しさ、悲しみ、辛さなどの感情を表面上のことばで伝えるとき、比喩などを用いた独特な表現がなされることで、よりひとつひとつの感情が異空間が生まれるようにあらわれる美しさです。

 

そして、荷風が示す「情調美」を生み出しているものが、季節と気候の描写です。季節・気候・風土の変化を細かく描写し、自身の内面にある情感を重ね合わせて見事な表現方法を残しています。

季節や気候はノスタルジックに描くことができて、表現を大切にしていた荷風にとっては最高の材料だったのでしょう。

 

雨の描写がほとんどを占めています

病弱で寂寥な彼は感傷的な感情を示すことが多いので、その感情に合わせてか雨の降っている描写が非常に多いです。『断腸亭日乗』の日記の中を見てみても、雨という単語が多くみられます。

断腸亭日乗』を書き始めた大正6年9月16日からいきなり「雨」が登場します。


 九月十六日、秋雨連日さながら梅雨の如し。夜壁上の書幅を挂け替ふ。

 

少しながら大正十一年の日記を少し紹介します。


大正十一年
九月二十日。気候激変して華氏七十度の冷気となる。腹痛を感ず。

 九月廿一日。雨歇みて風冷なり。

 九月廿三日。烟雨終日濛濛たり。

十月二日。秋雨霏ゝ。終日ホテルに在り。夜松莚子に招がれて伊勢長に飲み、更に又先斗町の某亭に飲む。

十月十四日。微雨。鹿ケ谷法然院銀閣寺を訪ふ。

十月廿四日。曇天。山形ホテルを引払ひて偏奇館に帰る。夜半雨声頻なり。眠ること能はず。

十一月十日。薄暮驟雨。須臾にして晴る。

十一月十六日。寒雨霏々。菊花凋落。

十一月廿六日。細雨糠の如し。午後明治座に赴く。

(参考:『新版 断腸亭日乗 第一巻』永井壯吉著 2001年9月5日 岩波書店

 

いたるところに「雨」のワードが登場していますよね。しかし、雨は同じでも荷風の感じ方によって雨の降り方の表現が変わっています。上記で紹介した秋雨の様子には荷風独特な趣深い詩的表現が多くみられます。「霏々」は雨がしとしとと降っているようすであり、寂寥感や独居の様子を想像させるような情感が感じられるものです。。

 

雨が降る様子は悲しみや涙の比喩

なぜ雨が多いのか、、日記に天気を書くのはありがちだけど、天気を意識しすぎ・・

 

 

荷風にとって雨は悲しみや寂しさを一層引き立ててくれるものであるという認識があるから使用例が多いのでしょう。私の感覚からしても、雨が降っていると気持ちがしずむものです。

荷風が自身の内面を季節や気候の描写に託しているのであれば、荷風の季節気候に対する感覚と合っていないと荷風の本当の思いを読み取ることが難しいといえます。ヒトの感覚は似ているようでそれぞれなので、読み取るのに一苦労です。。

 

『雨瀟瀟』の中には「雨声は秋を込めてうつろひの寂寥を一入り深くする。悲愴と愁恨の人生を告げ知らせるための雨である。」といった荷風が感じた雨に対する言及もされています。
雨に感傷的な印象を持たせていて、それを読み取ることが暗黙の了解のようです。


実はというと、荷風は詩的な描写のかたちを大事にしているわけですから、読者に表面的だけでも情調美の印象を与えることができたらそれでいいという感覚もあったようです。


上記の紹介した部分からみても、荷風の細やかな漢詩的な表現は、幽玄な雰囲気を醸し出しています。季節や気候の描写がその雰囲気を生み出す重要な役割を担っているのでした。

 

 

大学生活の中で永井荷風の研究に興味を持ち、様々な作品や先行研究、文献を読みました。

そこで得たわずかながらの知識を分かりやすく発信しようと思い、ブログを書いています。