荷風の女事情
性格、思想、趣味、生活風景、作品などなど
荷風のイメージとして一番これが印象強いのではないでしょうか。
荷風の女好きな性格。。
「一人で生きていける人間なのに、女の人は必要としていたのか」
と思ってしまうのですが、荷風にとって女の人は自身の生活をサポートしてくれるための存在ではなく、人生を豊かにしてくれる存在であったのです。一緒に楽しくおしゃべりしながら過ごすことができたらそれで幸せ。一緒に自然や風景を見て楽しむのがいいという考え方でした。
そのような考えだから一人の女性に絞ることなく、あちこちの人に手を出しながら自分の生活を華やかにしていたのでしょう。。
彼は結婚に不向きであった
彼の結婚は二回です。
大正元年 当時荷風32歳。材木商斎藤政吉の次女ヨネとお見合い結婚。翌年離婚。
大正三年 当時荷風34歳。新橋の芸妓八重次と結婚。
八重次とは普通の恋愛結婚で、自分の意志で自由に結婚できたことに非常に幸せを感じていたそうです。
八重次との結婚については『矢はずぐさ』といったエッセイで記しています。
八重次は荷風と同様、芸術の分野で活躍した人物で、日本舞踊の改革に力を尽くした人でありました。知性もあるし、学習能力もあり家事もできる。まさに完璧な相手。
彼女はこのような人間だから向上心もありプライドも高かったのです。
荷風は芸術家として八重次のことを尊敬していました。芸術という場面で尊敬しあうことができることに良さを感じていたことでしょう。
ラブラブ結婚生活が続くと思いきや・・・
荷風と八重次には価値観の違いが多いにありました。
荷風がかなりのわがままだったのです。帰りが遅かったり好き放題自分のやりたいことをやる・・八重次は我慢の連続です。
八重次は結婚に対してもプライドがあったわけですから、我慢ばかりもしていられなかったのでしょう。
また子供は一切つくろうとしませんでした。
子供ができたら子供を立派に社会に送り出さなければならない義務がある。。そこでどうしても社会の権力に従わなければならないときが来ます。このことにかなりの抵抗がありました。社会の権利ではなく、人間として生活するためには一人で生きるほうがましだという意志をもっていたのです。。
結局八重次とも離婚。これからは結婚はせず、自由に女の人と遊ぶようになります。
女性と付き合った人数は数えきれないほど
実は、荷風は愛人一覧表をつくっていたとか。。主な人でも16人の名前があり、どんな性格なのかを事細かくメモをしていました。本当は16人をはるかに超える人数の女性と接してきたらしいです。。今思えばかなり恐ろしい話ですね。。
芸名「永井荷風」の由来は初恋女性!?
実は、「永井荷風」の名前の由来も女性関係が絡んでいるのでした。
小説家の人間として生きるということは、本当の自分とは違った人物としての偽りも兼ねているわけですから、芸名がつかわれました。
名前を変えて呼ばれることにテンションが上がったりするのでしょうか。。
「荷風」は初恋の話が元に生まれました。
初恋の相手というのは、荷風(本名 壯吉)が15歳の頃、腫物ができて大学病院に入院したときに担当してくれた看護師の人です。
その女性の名前は「お蓮さん」そこで「蓮(はす)」と同じ意味をもつ「荷」の漢字を使用したそうです。あちこちに女の人と関係を持ったはずなのに、一人の女性を生涯の自分の名前として付けたことについてはおかしな話ですが、
「こんなことにでも女性との結びつきが関係しているんだな」
と荷風らしさを感じるエピソードです。